柔道・柔道教室・柔道場の可能性を模索せよ!...
館長(コラム・講演・対談) 2019年5月24日文武一道塾 志道館は、「柔道」そのものの可能性、また「柔道教室・柔道場」という「場」としての可能性を常に模索しています...
柔道・柔道教室・柔道場の可能性を模索せよ!...
文武一道塾 志道館は、「柔道」そのものの可能性、また「柔道教室・柔道場」という「場」としての可能性を常に模索しています...
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志道館の正式名称は「文武一道塾 志道館」です。
文も武もつき詰めれば一つの道。「文武一道」にはそんな意味があります。
ちなみに、「文武一道」は“空気投げ”を編み出した柔道家・三船久蔵十段が残した言葉だと言われています。
一般的にはよく文武両道という言葉が使われ、文武とは「勉強」と「武道やスポーツ」に置き換えられますが、文武にはもっともっと深い意味があるそうです。
中国古典「書経」に下記の様な一節があります。
放勳欽明(ほうくんきんめい)
文思安安(ぶんしあんあん)
「放勳欽明」とは、「放つ勳(いさお)は欽明にして」ということです。放つ勲には、武士の「武」、武力の「武」が隠されています。
「放勳」、要するに、武勲とは放たれるもの、ということです。放たれるとは、自分で自慢げに「こうやった、ああやった」と話すものではなく、また、誰かが文書にして明らかにするものでもないということです。その人の体から有無を言わせず放たれていくことが、その人のこれまでの業績なのだ、ということです。放たれるべくして放たれるべきものだということです。
「文」とは人格教養という意味です。もっと言えば、きめの細かい、心のあやというものがきちんと感じ取れるような、思いやりを持っていることが「文思」なのです。これは、心のあやさえ読める思いやりを持っている人のことを指しています。ですが、機嫌の良いときは思いやりがあるけれど、そうでないときは駄目だというのでは、下の人はついてきません。文思が「安安」とは、安定的にその人の人柄になっているというレベルに昇華されていることなのです。
〈老荘思想家・田口佳史氏 儒教思想によるリーダーシップ(2)より抜粋〉
つまり「放勳欽明 文思安安」とは、強さと優しさを兼ね備え、確固たる実績を残すことができる理想のリーダー像ということが言えます。
約4年前、自分が創る道場の名前を思案していた私は、上記のような「文武」の意味を理解して「文武一道塾」と謳った訳ではありません。柔道だけ、勉強だけ、ではなく柔道と勉学を通して自己研鑽を積む場になるようにという思いを込めた命名でした。
しかし、田口佳史先生の講座の中で、「文武」の本当の意味を知ることができ、もっともっと広く深いところに文武一道塾 志道館の目指す道があることに気づくことができました。
文武一道塾 志道館がその名に恥じない“場”となれるよう、精進していきたいと思います。
館長・坂東真夕子
文武一道塾 志道館は、「柔道」そのものの可能性、また「柔道教室・柔道場」という「場」としての可能性を常に模索しています...
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